☆パリ帰りのミュージシャン、不慣れ?な日本での日常☆
料理のこと、ワインのこと、旅のこと・・・
♪もちろん、音楽のことも♪
週末のコンサートのあと、
中2日置いて
南青山マンダラでの対バンライブジャポネ!9月の部。
4組の最後、大トリで、
和太鼓の大多和正樹くんと、インプロヴィゼーションのデュオ。
このデュオ、実は公式にはこれがデビュー
なのに、この慣れてる感はなんなんだ!
で、しっかり終電に駆け込みで帰ったのであった。
きょうの出演、演奏順に:
1)五錦 雄互(三味線)
2)あびこ めぐみ(唄,三線)
3)鼎-tei-
4)中山 真一(ヴィオラダガンバ)&大多和 正樹(和太鼓)
p.s. 井上くん、楽器提供ありがとう!
中2日置いて南青山マンダラでの対バンライブジャポネ!9月の部。
4組の最後、大トリで、
和太鼓の大多和正樹くんと、インプロヴィゼーションのデュオ。
このデュオ、実は公式にはこれがデビュー
なのに、この慣れてる感はなんなんだ!
で、しっかり終電に駆け込みで帰ったのであった。
きょうの出演、演奏順に:
1)五錦 雄互(三味線)
2)あびこ めぐみ(唄,三線)
3)鼎-tei-
4)中山 真一(ヴィオラダガンバ)&大多和 正樹(和太鼓)
p.s. 井上くん、楽器提供ありがとう!
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恒例、南青山マンダラでの岸田國士作品リーディングライブ、
今回も山上優チームの『歳月』で、音楽係をやった2日間。
今まで2作品とは趣きが違う作品ということもあり、
これまでよりはじっくり語り聴かせるちょっと重厚なライブ。
文學座と青年座を中心にした超豪華俳優陣の、表情豊かな台詞回しで
良い緊張感のドラマ空間が心地よかった。
2日とも、夜の部の終演後には
ピアノの高田涼子ちゃんと即興セッション。
稽古の間から、楽しく過ごした日々だった♪
岸田國士『歳月』
演出:山上優
【出演】
山崎美貴(文学座)、都築香弥子(オフィスミヤモト)、井上倫宏(円)、得丸伸二(文学座)、高橋ひろ子(青年座)、名取幸政(青年座)、黒崎照(青年座)
これまで何回かステージ奥に立ってきた南青山Mandalaに、
とうとう、音楽ライブでのデビュー!
これまでは朗読ライブのステージばかりだったからね。
きょうは3組のうちの2番目のステージ、
原澄子ちゃんとのヴィオールのデュオに、
ダンスの細川麻実子さんが加わっての
ちょっとアーティスティックなセットだった。
☆☆きょうのセット・リスト☆☆
インプロヴィゼーション・セッション「まにまに」(構成:細川麻実子、音楽はロマネスカをベースに)
Good Again(音楽:Tobias Hume、ダンス:細川麻実子)
Dialogue (Marin Marais ヴィオール曲集第5巻、第2ヴィオールアレンジ:中山真一)
Chaconne en rondeau(Marin Marais ヴィオール曲集第2巻、第2ヴィオールアレンジ:原澄子)
とうとう、音楽ライブでのデビュー!
これまでは朗読ライブのステージばかりだったからね。
きょうは3組のうちの2番目のステージ、
原澄子ちゃんとのヴィオールのデュオに、
ダンスの細川麻実子さんが加わっての
ちょっとアーティスティックなセットだった。
☆☆きょうのセット・リスト☆☆
インプロヴィゼーション・セッション「まにまに」(構成:細川麻実子、音楽はロマネスカをベースに)
Good Again(音楽:Tobias Hume、ダンス:細川麻実子)
Dialogue (Marin Marais ヴィオール曲集第5巻、第2ヴィオールアレンジ:中山真一)
Chaconne en rondeau(Marin Marais ヴィオール曲集第2巻、第2ヴィオールアレンジ:原澄子)
午後から、久しぶりに遊びに来た
オーボエの小野ちゃんとヴァイオリン/ヴィオラのゆーらちゃんと
ちょっと珍しい曲のセッションなど。
まぁ、夜は飲み食いの会なんだけどね。
滅多に手をつけないジェミニアーニの民謡素材の曲や
J.-M.ルクレールのトリオソナタなど、
プログラムに入れにくそうな曲を譜読み。
オーボエの小野ちゃんとヴァイオリン/ヴィオラのゆーらちゃんと
ちょっと珍しい曲のセッションなど。
まぁ、夜は飲み食いの会なんだけどね。
滅多に手をつけないジェミニアーニの民謡素材の曲や
J.-M.ルクレールのトリオソナタなど、
プログラムに入れにくそうな曲を譜読み。
さて、明日は仙川で、ダンサーの細川麻実子さんとの初ステージ。
2年ほど前に共演してから、ずっと温めていたプロジェクトの初公開。
大筋の流れも、時間のワクを作るための大まかな設定しかなく、
完全に即興=improvisationで作るduoなんだけど、
こういうのって、準備としては、普段のコンサートと逆に、
ひたすら自分を気持ちの上で開放するように整えていくことしかない。
それはそれで難しい面もあるな、というのが今日の心境。
まぁ、こうやって作っていくプロジェクトなんだけどね。
☆ところで、特にこの数ヶ月の、日本の世界からの孤立、って
☆十数年をヨーロッパで過ごした人間の目から見るとタダゴトじゃない、って思える。
☆それをそう思わないのが日本らしい、ってことなのか?
昨日、今日と、先立っての夏以来2回目の南青山マンダラでのライブ。
今回もまた岸田國士リーディングで、山上優チームの音楽担当♪
ものすごい俳優さんたちに囲まれて緊張の舞台だった。
演目の『虹色の幻想』というシナリオ、初上演ということらしい。
今回の挿入曲は、登場順に
Sieur Demachy, Prélude en ré-mineur (en tablature)
Marin Marais, Prélude en harpègement (V-46)
Sieur Demachy, Courante en ré-mineur (en tablature)
Carl Friedrich Abel, Adagio in D-major
William Young, Prelude (ms. Cracovie, p.84 verso)
Sieur Demachy, Prélude en ré-mineur (en musique)
Tobias Hume, Captaine Humes Pavan
Tobias Hume, The Spirit of Gambo
Carl Friedrich Abel, Allegro in D-major
Carl Friedrich Abel, "Tempo di Menuet" in D-major
【演出】山上優
【キャスト】高橋ひろ子(青年座)、嶋崎伸夫(青年座)、ひがし由貴(青年座)
泉関奈津子(NLT)、安奈ゆかり(NLT)、桑原一明(NLT)、川久保洲子
今回もまた岸田國士リーディングで、山上優チームの音楽担当♪
ものすごい俳優さんたちに囲まれて緊張の舞台だった。
演目の『虹色の幻想』というシナリオ、初上演ということらしい。
今回の挿入曲は、登場順に
Sieur Demachy, Prélude en ré-mineur (en tablature)
Marin Marais, Prélude en harpègement (V-46)
Sieur Demachy, Courante en ré-mineur (en tablature)
Carl Friedrich Abel, Adagio in D-major
William Young, Prelude (ms. Cracovie, p.84 verso)
Sieur Demachy, Prélude en ré-mineur (en musique)
Tobias Hume, Captaine Humes Pavan
Tobias Hume, The Spirit of Gambo
Carl Friedrich Abel, Allegro in D-major
Carl Friedrich Abel, "Tempo di Menuet" in D-major
【演出】山上優
【キャスト】高橋ひろ子(青年座)、嶋崎伸夫(青年座)、ひがし由貴(青年座)
泉関奈津子(NLT)、安奈ゆかり(NLT)、桑原一明(NLT)、川久保洲子
きのう、11月のコンサートのための
初リハーサル。
で、スコアを見て予想はしていたけれど、
今回はとうとう、コンサートの間、一回も
弓を下から持たないで終わりそう。
これまでは、部分的に数箇所は、
下から弓を持って弾くことが必ずあったんだけどね(^_^;)
きょうも練習してて、今度ばかりは、全部
チェロと同じように上から弓を持って弾かないと無理。
ご存知のとおり、ヴィオール属の弓は
下から持つことが多くの文献で推奨されてるけど、
音楽が弓を上から持つアーティキュレーションを要求していて、
しかも、当時のドイツでは低音弦楽器の細かい技術には
それほど楽器固有の技術に対してうるさくなかった、
といわれているぐらいだから、これも歴史的な解釈としては
十分にありうるか、と。
で、スコアを見て予想はしていたけれど、
今回はとうとう、コンサートの間、一回も
弓を下から持たないで終わりそう。
これまでは、部分的に数箇所は、
下から弓を持って弾くことが必ずあったんだけどね(^_^;)
きょうも練習してて、今度ばかりは、全部
チェロと同じように上から弓を持って弾かないと無理。
ご存知のとおり、ヴィオール属の弓は
下から持つことが多くの文献で推奨されてるけど、
音楽が弓を上から持つアーティキュレーションを要求していて、
しかも、当時のドイツでは低音弦楽器の細かい技術には
それほど楽器固有の技術に対してうるさくなかった、
といわれているぐらいだから、これも歴史的な解釈としては
十分にありうるか、と。




